大きな変化の前触れとして、色の好みが変わる。
そんなことがある。2年ほど前のわたしがそうだった。

前回の記事【前編】を書いてから氣づいたんだけど、

色の好みが変わる前、わたしのもとに、今は養父と母の形見となったネックレスがやってきた。

この二つの出来事、客観的にはどうあれ、わたしの中では繋がっている。
石のエネルギーも色の光の波長も、人間の心身に影響を及ぼす。

後編では「色」の話を。

こないだ「筋反射」で合う色が判るという興味深い動画を見たんだけど、

筋反射というのは、
自分の潜在意識の声というか、好い氣持ちの時と嫌な氣持ちの時では身体への力の入り具合が全く違うということ。

合う色合わない色それぞれ纏ってみた時、
同じ力で身体を押してみて身体のグラつき具合が面白いほど違う。

これは色だけではなくてあらゆることが判るもので、
口では何とでも言える
自分で自分の氣持ちをゴマかそうとする
でも潜在意識の声を代弁できる身体の筋肉は、正直なんだよー!ってこと。

それ以外に
実生活で選ぶ服やモノに関しても、

ちょうど2年ほど前の43歳頃を境に、
それまで全く興味のなかった、混じりけのない「真っ赤」に、やたら惹かれるようになった。

わたし五行で足りない要素が「火」なのもあるのかな。

五行で火を象徴する色は「赤」

四柱推命の年運も、
昨年は「印綬」今年は「偏印」
この印星に足りない要素も「火」

そういえばカバラ数秘術にも数に応じて色があるらしいね。
わたし数秘1で、ここでも赤。

日本でマヤ暦と呼ばれているものを知った頃から色の好みが変わり、実生活で使うものにも赤をたくさん取り入れるようになった。
ちなみに「13の月の暦」でのわたしの銀河の署名は、
「赤い共振の竜」

2年ほど前、まだ五行や数秘は知らなかったけど、何故か赤ばかり選んでいた。

コートの裏地、財布の内側、バッグの内布に始まって、
昨年春頃から次第に洋服も色鮮やかなものに。
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昨年夏の装い
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やはりどこかに赤を合わせたくなっちゃう

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秋冬服は氣に入った鮮やか服がなくてどうしようと思ったが、
なーんだそのまま着ちゃえばいいじゃん!と
このような事態に。
下にウールのロングスカート履いてムートンブーツ履けば暖かい。
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もうそろそろコートも要らなくなる季節はこんな感じに。
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人目が氣になり、なかなか洋服では冒険出来ない人が多いけど、
自分に合う色を小物で取り入れたりするだけでも氣分変わるし、違ってくるんじゃないかしら。

顔もスタイルも大したことない40過ぎの女がこんな格好してたら、特に同世代の女たちに反発買うリスクはある。
実際これまでもチラホラそんな氣配を感じたことがw

でもそんなの全然氣にならんマジで。
だってわたしは40歳前まで、どんなに目立たないよう地味にひっそりしてても何故かいじめられることばかりだったから逆に振り切れる。

服は無難でも化粧コテコテとか同じことやんけ。
ケーッケッケψ(`∇´)ψとか思ってしまうわ。

いや化粧コテコテが悪いってことじゃなく、好きでやってるなら何だっていいじゃんってこと。
わたし化粧するとやっぱり氣分上がるけど、やっぱり面倒くさくて普段はドすっぴんだから、
どこに興味が向くかなんだよね。

結局、こだわりどころが人それぞれなだけで
この場合、違いは目立つか目立たないかだけ。

違って見えても本質は皆同じ。
好きでやってること、迷惑かけてもいないのに、とやかくいうほうがオカシイんだから氣にすんな(^^)
そいつきっと自分の好きを押し殺して我慢してばかりだから癪にさわるだけさね。

色、奥深いね。
必要な色は人によって、同じ人でもその時々の段階や運氣によって違う。

色がテーマのなにか。
面白そうだな。
2ヶ月位を目処に、組み立ててみようかしら。

# by yuusfuru | 2018-03-10 11:11 | 考えていること | Comments(0)

どちらも人間の心身に影響を及ぼすもの。
前回パワーストーンの話を書いたけど、パワーストーンよりもさらにエネルギーが強いのは宝石。

「血塗られたダイヤモンド」なんて言葉もあるとおり、人間が価値を感じているものには人間の欲望というエネルギーが乗りやすいとわたしは思うの。

持ち主が代々、奇妙な死を遂げたりする「呪いのダイヤモンド」とかも昔テレビで見たなあ。
怖いのはダイヤモンドではなく、そこに乗った「人間の欲望=念」だと思うの。

そういう意味ではお金も同じよね。
お金は汚くも怖くもない。
そこに人間が込めた念がお金を魔物のように見せているだけ。

わたしには、いつも決まって身につけるジュエリーとアクセサリーがある。
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ジュエリーのほうは、今となっては形見になってしまった、プラチナとダイヤモンドのネックレス。

わたしが中2の頃に母が再婚したんだけど、
養父が母と再婚して
(互いに死別の再婚同士。養父に子はなく、母にはわたし含む、父親が同じ子どもが3人)
初めての、養父から母へのプレゼント。
養父は2013年に、母は2017年に亡くなったので、二重の意味での形見。

こういう「素敵な念」って好いな。
譲り受けてから、こればかり身につけるようになって他のプチっとネックレスの数々は全く身につけなくなった。
パワーストーンと同様、やっぱりジュエリーも安易に買うもんじゃないね。

わたしがそれまで持っていたプチすぎるジュエリーたちとは段違いの重量感。見ただけで、結構したんだろうなと判る。

中学生の頃、うわあ綺麗だなあと思い、着けてみたことがある。
当然だが、めたくそ似合わなかった。

10代20代の、大抵の若い女の子に宝石が似合わないのは、石の持つエネルギーにまだ相応しくないという理由もあるんじゃないかなあと今なら思う。

これを母から譲り受けたのは43歳の頃だったけど、いつの間にか着けこなせるようになった氣がして、歳を重ねるのも悪くはないなと嬉しくなった。

そして、いつもこれと重ねづけしているのがこちら。

初めての結婚記念日に夫がプレゼントしてくれたアクセサリー。結婚して丸11年、12年目に入ったからもう10年前にもらったもの。
最初の頃より今のほうが頻繁に身につけるようになり、ものすごく氣に入っており、全く飽きることがない。

思えば夫婦間も同じ。
新婚時代のラブラブ感もそれなりに楽しんだけど、もうあの頃に戻りたいとは思わない。
ヒリヒリ焦げつくような非日常的な感覚には必ず終わりが訪れる。その後は「最初のひと山」
あれをもう一度越えるのはしんどいわあ。
そして越えてみると今のほうが断然素晴らしく感じるのね。
だから命ある限りあの人と大切に生きよう。

このアクセサリーを見ていると、そんなこと考えちゃったりなんかしてね。

そしてこの2つをセットで身につけるようになってから、色の好みがガラリと変わった。
実感してるんだけど、自分の内面が大きく変わる前触れとして色の好みが変わるケースは結構あると思うよ。

色は光の波長ってのは、なにもスピな話ではない。
光にはそれぞれ固有の波長がある。
遠赤外線も光でしょ?暖かいよね。
紫外線も光だよね。日焼けしちゃうわよね。
その中の「可視光線」ってやつが「色」なんだよ。
光なんだから人間の心身に影響があるのは「色」だって同じなんじゃないかなあ。

そしてダイヤモンドは世界最強のパワーストーンでもあるし、もしかして
「色の好みの変化=心身の変化」に、
もしかして何かしら影響を及ぼしていたりしてね。

なんて思ってみたのです。

長くなってしまったので「色」のエピソードは後編へ続く。

# by yuusfuru | 2018-03-08 08:59 | 考えていること | Comments(0)

スピの世界に入ってからは、あえて避けていたパワーストーンブレス。

同じ名前の石でも品質はピンキリで、わたしは石の目利きが出来ないから。

石はそれ自体パワーがあるから、ある程度自分の芯がしっかりしている人じゃないと石に負けるような感じもした。わたしから見て実際そんな印象の人がいたから。

そして何よりも、特に強烈に惹かれることがなかったから。

エネルギー解る人や石好きの人が「この石凄いエネルギーだね!」というコメントたくさん付けてる石の画像が時々SNSで流れてくる。

まあ綺麗だなあとは思うが、特に何も感じなかった。
だからまだわたしには石が必要ないってことなのかもね!と思って、パワーストーン関係は手を出していなかった。

スピの世界を知る前には2~4千円のを4本位買ってつけてたこともあった。
数年前、なんか流行ってたの?
雑誌の付録に付いてたパワーストーンブレスが可愛かったから買って、重ねづけ用・服装の色別に使い分ける目的で、なんとなく3本選んで。

でも当時は石について何も知らなかったし、強烈に惹かれる感じもしなくて、100%ファッション感覚で選んでいた。
だからアッという間に飽きて、つけなくなった。
新しいブレスが到着する前に天日塩で浄化してキレイな紙に包んで、今までありがとうねと言ってから処分した。

それからスピの世界を知り、「業界内」の知り合いも増え、自然にその手の情報が入ってくるようになった。

それ以前、わたしは
「自分には霊感なんか無いし、くれるって言われても絶対要らんわ。エネルギーとかも全然感じないしぃ」
とか思ってた。

しかしいつの間にかそれ違うかも、なにも特別なものじゃないかも、と感じるようになった。

常日頃から、わたしもらいやすくってぇ、と公言していたかつての知人が身体面に於いてもの凄い「浄化(本人曰く)」が現れたのをリアルに目撃した。
その知人は自分はスピじゃないつもりだったらしいが、やってることや思考回路や交際範囲は、もうがっつり愛と感謝系スピ。

見えない世界に関わるならばこのまま無防備なのは危険だ。
そう考えるようになって、防御目的でヒーリングの基礎を習得した。

そして先週、ついに出会いの瞬間が。
販売元は、SNSの発信内容が好きだなあと常々感じている方と関わりがあるところ。
どこから買うかも大切だよね。
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なんせ初心者なもんで、まずどちらの腕につけるかってとこで迷った。で、ググった。

一般的には左手らしい。
左手は右脳と繋がっているからとかそんな理由だったかな。

そこで左手につけてみたが、なんかしっくりこない。
右手につけかえたほうがイイ感じ。

どんな分野でも色んな見解があり、相反する説があるのが常。だからきっと右手説もあるんだろうなと思い再度ググったら、やっぱりあった。

こちらは、利き手と逆の腕につけるのがいいとのこと。
そういえばわたし左利きだわ。

他にも、エネルギーを取り込む手と放出する手があって、どっちがどっちかは人によって違う。
エネルギーを取り込む側の腕につけたほうがいいとか。

ヒーリング講座で、エネルギーを出すのはどちらの手かを確かめたことがあって、わたしの場合は左手だった。
これは人によって違うらしく、受講生みんなそれぞれバラバラだった。利き手と関係あるかは訊いてないのでわからないが。

なにか目的が明確な場合やそうでもない時期、
時と場合によって適した腕は違うっていうのとか。

でね。
色んな情報みて迷って自分の感覚で決めらんないってことは、
その石は持たないほうがいいとわたしは思うんだな。
石だけじゃなく色んなことにいえるけど。

だから石は安易に買うもんじゃないと思って今までセーブしてたんだけどさ、
わたしは何につけても、自分なりに感覚と理屈セットで検討した上で芯から納得できれば、あとはエンジンもアクセルも全開な傾向。
だからもちろんソッコー決まったわ。

今のところは右手につけるのがしっくりくる。

ブレスひとつとってもそうだけど、
自分だけの正解を選び取るのって、こんな小さな決断の積み重ねなのかもね。

だからなかなか決められない人は、今日なに食べようかとか、そんな小さなことを、ものすごく真剣に全力で決めてみるところから始めればいいんじゃないかな。

こういうことになると
いきなり階段10段抜かしみたいな理想高くてすぐ挫折しがちな人が意外と多いかもって思ったから付け加えてみた。

# by yuusfuru | 2018-03-06 06:06 | 考えていること | Comments(0)

念とかいうと特別感があるけど、人間なら誰でも持っているもの。
念は感情から生まれる。感情のない人間はいない。
ありふれた日常にあちこち転がっている。

この世界は陰陽一体。
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目に見えないという意味では思いやりとか絆とか。
皆さんのおかげでパワーいただきましたあ!チカラ湧いてきましたあ!
なんてよくいうでしょ。あれホントにいただいたり湧いたりしてると思うよ。
それらの綺麗イメージな「念」はみんな大好きね。

「陰」になった途端、怖いイメージね。
念飛ばされたとか胡散臭いイメージね。
でもさ。これも同じく、別に特別なことではなく。

妬み嫉みでイジメとか足を引っ張る引っ張られるとか。
イジメられる人って心を病んでしまうことがあるでしょう?イジメるほうも別の意味で病んでるが。
そして標的になりやすい人も確かにいる。

それは、何らかの要因で「わたしは受けやすいんだ」と
「自分で設定している」からではないか。経験上。

物心ついてから2013年・40歳までのわたしが、まさにそうだった。
家庭環境も学校生活も、社会に出てからも、人の想念の「陰陽の”陰”のほう」をよく観てきたし向けられてもきた。

40歳の時、生活が脅かされるほどの出来事をきっかけに人生最大の転機があった。
今までの不足分を補ってバランスを取るかのように「陰陽の”陽”のほう」が急ピッチでなだれ込んできた。

嫌なことを嫌という。そうしたら好きなことが次々と見つかった。それを素直に追いかけられるようになった。

追いかけるには身軽にならないとしんどくなる。
人が怖くて傷つけられないように分厚く纏っていた鎧を脱いで、
わざわざ敵をたくさん作ってたくさん泣いて、
ときたまちょびっと救いがあって。

夢中で追いかけ始めたら、
それまで絡まった糸のようだった娘や夫との関係が、努力していないのに勝手にほぐれていった。

だから人の言動の動機となっている、その人自身も無自覚であろう部分が、
よーく観えるようになった。

一見、善良そうに見える人に潜む闇
みんなに優しい学級委員長が、わたしだけに見せてくれた裏の顔
そんな感じの「怖さ」を知っていたおかげで

まず防御アイテムをしっかり装備しようと考え、
身を守るためにヒーリングの基礎を習得した。

わたしの場合は、なぜ怖いかの理由が解ればスッキリした。迷いが減れば惑わされなくなるよね。
嫉妬などの念を受けても、自分のほうが強ければ大丈夫。

逆に、何かっつーと受けやすいとか飛ばされたかもって、あまりに思い込みが強すぎるのは自分から拾いに行ってるようなもん。

だったら怖がったり嫌がったりばかりしているより、対策を講じればいいだけなのになあと思う。

だから大丈夫だよ。
自分がどうしたいか。
誰一人の例外なく、自分の世界は自分が創っているのだから。

# by yuusfuru | 2018-03-04 03:30 | 考えていること | Comments(0)

「好き嫌い」の自然な感情よりも「正しい・間違い」「ジャッジだの手放しだの」にこだわりすぎるから、惑わされる。

世界で唯一・万人共通の「真ん中とかワンネスとか」があると思い込むと、自分のものさしで無自覚に他者を測る。
「ジャッジしないというジャッジ」が生まれる。
(他人に対して「それはジャッジでは?」「手放そう」と無自覚な自分目線でアドバイスしてあげるとか)

それをしたくなる相手にはそもそも無意識でどこかしら好感情や敬意を持っていないってことが、意識からスッポリ抜け落ちている。
だから、自らの自然な感情に向き合う前から「手っ取り早く」手放したがる。

具体性に欠けた綺麗なフレーズを好む人はとてもたくさんいるから需給のバランスは取れている。
根本的な解決ではなく癒しを求める人々がその手の世界観を好む。

例えば
有名人を標的にした品性下劣なスキャンダルネタや
絵に描いたような勧善懲悪ドラマ、
さあココ泣くとこですから!と言わんばかりの薄っぺらい感動ドラマ・美談、などなど。
それらが一定の視聴率を得ているのは、
目先のガス抜き的な娯楽をよってたかって「消費」する
「手っ取り早く、わかりやすくスッキリしたい」需要が沢山あるから。

根本的な解決は、そういう意味ではラクじゃない。
ガス抜くんじゃなく、発生源を自力で突き止め除去するみたいな。
手っ取り早くもわかりやすくもない。
その代わり覚えることは少なく済むし、あらゆる分野に応用自在なんだけどね。
人数が少ない。理解されないことが多い。

誰だって「仲間外れ」は怖い。
「みんなと同じ教」は、ひと昔前に比べたら格段に勢力が弱まり「教義」のあちこち、ほころびだらけ。
今までその中で無難あるいは要領良くやり過ごせてきた人々ほど、その幻影に怯えているようにわたしには感じる。

世の中や金融の仕組みなんて何も知ろうとしない「ネギしょったカモ」でも、それが当たり前でお国・お上にお任せで大多数が一生安泰だった時代はとっくに終わった。

「みんなと同じ教」
しかしそれも自由選択。怖いなら無理して抜けることもない。
「ロシアンルーレット」に弾込められる確率は多少上がったが、それでもなお向き合わずにいるのはそれなりにメリットあるから。
ある種の人々にとってそれほどに
「ひとりじゃない。手近で分かち合える」というのは魅力的なのだと思う。

はあ?何それ意味わからん、って思うならそのままでもちろん問題ない。

好きなことは大体、自分にとって「正しい」こと。
人は大体、何を言っているかより誰が言っているかで判断する。
いくら痛いとこ突かれても、氣に食わないヤツが言っていたらトコトン知らんふりなのが当然。

選択を人に預けるから不安・怖れ・葛藤が増す。
万人共通の正しさや常識や普通なんて幻想。
だからそんなこと氣にせず、みんな好きなものを選べばいい。

なんかもう、そうとしか書きようがないんだなあ。
わたしにとっては、本当に好い時代になったなあとつくづく思う。

# by yuusfuru | 2018-02-28 21:51 | 考えていること | Comments(0)