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人が自分では意識し切れない潜在意識の奥底にある「真の動機」を、とてもわかりやすく炙り出してくれるのが「お金という道具」。

意識の上でいくら頑張りたいとかまだまだ勉強中とか謙虚に振る舞っていても、最終的な結果というのはその「真の動機」に相応しいものとなる。

だから受け取る器じゃない者は、いずれ自爆する。
わたしがわざわざ自分の潜在意識を汚すリスクを冒してまで、一大ディスりフェスティバルを開催するまでもない。

ちょっと脱線するけど、わたしが最初にそれを実感した例を挙げよう。

わたしが小学校を卒業した春休み、実父は自ら命を絶った。
今は亡き母は、そこで初めて自分が死に追いやったも同然だと氣づき、激しい自責の念に駆られたそうな。

いやそこで初めて氣づくってのもすげえけどな。
間近で夫婦が10年かけてゆっくり壊れていく実態を観てきたわたしとしては。まあそれはともかく。

その途端、出会いの質が変わり、今は亡き養父に数ヶ月後に出会って1年半後に再婚。
光熱費も滞納するほどお金に困っていた最初の結婚生活とは打って変わって、何不自由ない穏やかな暮らしがやってきた。

他にもいくつも実感する機会があり、わたしの中ではもはや当たり前のことになっている。

だから思う。
常識的に考えたら理解できないだろうが、
世の中に、不労所得なんて存在しない。

世間一般的に「不労所得」と言われているものに、

ネットワークビジネスで何人紹介したらいくらとか、ランクが上がるとか。

あとは株取引。
ただこれに関しては、生活費を稼げるほど株で利益を得ている人の話をよくよく聴いてみて、わたしの誤解だったと解った。

要所要所で、しっかり「労している」のよ。
目先の小賢しいテクニックをチマチマ覚えるより
「仕組み」を理解すること。
他人に惑わされず自分の芯は自分で決めること。

これは株取引に限らず全ての分野にいえること。
ところでなぜ今ネットワークビジネスの話題を書いたかというと。

去年まで友達だった同年代の女性から、
わたしネットワークの商品買ったんだわ。
「だった」ってのは、誘われた時点でもう友達じゃないから。
いいものはいい。納得して買った。
だけど紹介活動は絶対イヤ。

でもマニュアルで決まっているんだよね、きっと。
何人紹介したらこのランクに上がるとか、つまんない話を延々してくるから、そういうのはもう結構と先日ハッキリ伝えた。

ちょっとかわいそうだからそれまでのらりくらりかわして自然消滅狙ってたんだけど、やっぱりこういう時に情けはかえって残酷だったわね。
あまり深く考えない無邪気な人だから懲りずに何度も誘ってくれて。
これはわたしも正直に伝えることが必要かなと思ったの。

買った当初から、
わたしの質問を次回まできいておくねと言って忘れていたり(自分で調べて納得できた)
購入時のプレゼント渡し忘れて
ごめんねー、品物何だっけ?ときいてきたり。
あのさ、仕事だっていうならそんぐらい面倒がらず書類確認すれば?
指摘してどんな態度に出るか試してみて、案の定だった。

しまいにはウチはネットワークじゃないとか言い始め。
上司に言われたまんま信じてるんだろうなあ。
調べもせず。

何でもかんでも「勉強になります」
謝罪文は✨😢❤️😊🎵の絵文字満載。

爆笑。キモチワルすぎてもう無理w

ネットワークビジネスをしゃかりきになってディスってる人がいたら、いくら労力削って被害を減らしたいと「正義の主張」をしても徒労ですよと伝えたい。

大丈夫よ。
分不相応なものを得ようとする人は必ず自爆するから。
どこの世界でも、どんなにラクしてるように見えても成功している人は「正当な労力」を払っている。

ネットワークビジネスは色んな面で剥き出しになる分、現実世界の結果として出てくるのが早いと思う。

受け取る器じゃない者は、自然の摂理の如く淘汰される。
元友達は、自分はホンモノだと思っているらしいから大丈夫なんじゃないかね。

いずれにしても、これぞこの世の面白さ。醍醐味。

かつて同じ「層」に居たつもりの者たちがいつの間にか棲み分けがすすむ。

おそらくあの世では絶対に交わることのない者たちが、時にマーブル模様のように美しく混ざり合い、時や場合やさまざまな条件で色合いが目まぐるしく変わっていく。

その色合いの変化を眺めて、面白そうなところには飛び込んで、自分の動きで模様をつくっていくのが好き。

1年位前、宇宙話が好きな人と知り合い、
話の中で「星にかえりたい」という言葉が出て
かえりたきゃかえれば?と思ったことがあるけど

いや〜〜わたしはまだまだ3次元で遊びまくりたいね。
星の記憶とか無いからわかんないけどさ、たぶん地球だけじゃない?こんな体験できるのは。

ああ面白かった。ごちそうさまでした。
ってことで、お互いキレイさっぱりカタがついたという話でした。

by yuusfuru | 2018-04-19 09:18 | 考えていること | Comments(0)

ひとつの価値観にどっぷり浸かっていたら、
迷うことはあまりないと思うから。

迷ったら、考えてみればいい。

周りの人と違う選択をするのは怖い。
では選ばずに周りに合わせていれば怖くないのか。

選んでみたら、結果が違ってきた。
協調性のある常識人からイジメられなくなった。
裏で何か言うのは、他人もわたしもお互い様。
実害がなければ構わない。

何が事実なのか、迷う意味はない。
人は誰でも、自分が信じたものを事実にする。

by yuusfuru | 2018-03-14 22:50 | 考えていること | Comments(0)

バイトというのは養父の手伝いのこと。
キッカケの元を辿ると、養父が税理士だったこと。
これだけでは意味不明なので順に説明すると。

養父は、新卒から定年までサラリーマンだった。
経理部署時代に税理士資格を取得。
会社は副業OK。若い頃から多趣味で交際範囲が広かった。
在職中から知人相手に確定申告を請け負っていた。
その時期は毎年、会社から帰宅後に自宅で税理士業務をしていた。

養父と母が再婚したのが1987年、わたしが中2の頃。
税務仕事を手伝ってくれたらお小遣いをあげると言われ、
わたしはもちろん二つ返事で快諾。

当時パソコンは無く、手書きの帳簿。
そして大量の領収書。
申告書。どこに何を書くか教えてくれた。
もううろ覚えだか、なんか言われた通りにやった。

あ。これは電卓で計算するだけかあ楽勝じゃん!
ぽちぽちぽち……っしゃああぁ

よっしゃ検算だ!ぷちぷちぷち…あれ?合計が違う。

……あれ?もう一度…ぐぬっ、、

なんということでしょう‼️
((((;゚Д゚)))))))((((;゚Д゚)))))))((((;゚Д゚)))))))
三度やって全て答えが違うという怪奇現象が‼️

もの凄い神経ピリピリさせながら、
計5回の計算でようやく答えが安定。

数ページやったら一度の検算で9割方合った。
わーいわーい。
でも。でも。
残りの帳簿はまだ結構な厚みが。
。゚(゚´Д`゚)゚。(´༎ຶོρ༎ຶོ`)_:(´ཀ`」 ∠):

その後も続々と持ち込まれるお客様の帳簿。
やってもやっても減らない悪夢。
でもお小遣いほしいよう。
キーーーー( #`Д´)💢💢💢💣🔥🔥

今ならぜってー無理。
ああ思い出すだけで脳みそ溶けそう。

この時もう自分には絶対事務仕事は無理だと痛感した。
ちょっと慣れたら交渉して単価を上げて量を減らした。

その後大人になって、エクセルが全て計算してくれるようになっても数字は大嫌いだったが、困ることはなかった。

ではなぜ簿記に興味を持ったか。
まあ結論としては必要に迫られたから。色々とね。

あとは無駄に騙されたくなかったからかな。
精神世界で活動する人々を知ってから
「お金は5次元」という話をきいて
は?と思って。いやいやちょっと待ってよ。

まあそれで上手く回っている人も
確かにいるが少数派。
我欲にまみれたままで
都合のいいものだけ引き寄せようとするから
上手く回らないんじゃなくて?
という人のほうが多数派かな。

セミナージプシーや教祖様渡り歩く人
結構見てきたけど、精神世界に限らず
現実世界でのし上がったり上に立てたりする人は
もれなくハイパーウルトラ3次元マスターが土台だと思うの。
現実的な計算「も」、キッチリ出来るってことね。

なにも自分がのし上がりたいわけではなく
彼らの思考回路に翻弄されないのが目的。
最低限の「お金の仕組み」位はぜひとも知りたい。

そういえばわたし金融や経済のことは何も知らない。
だったらまずは簿記か…。というわけ。

まあ大丈夫さ。
IT関係も吐くほど苦手だが、
仕事に使う目的でCAD(製図ソフト)覚えたり
すぐ使う目的があったから
WordやPowerPointも最低限覚えられた。

2006年、結婚を機に扶養内の仕事に切り替えた。
手に職とかキャリアが無くても短時間から出来る
高時給なコールセンターのバイトをした。

2007年、消えた年金問題・生保の不払い問題が
ニュースになると、問合せ窓口の
コールセンター求人が山ほど出てきた。

わーいラッキー‼️
お給料もらえる上、年金制度や保険の約款を
ザックリ急ごしらえで教えていただいた。
そして思った。

今まで通り天下の大企業様やお国に任せきりだと危ない。
意外といい加減なことするよね。
だから賢くなりたい。

2011年、3・11が決定打。
政府が大ウソつきやがった。
いつまでものんきにしてたらしんじゃうかもマジで。
ロシアンルーレットに込められる弾は
確実に増えたとおもうの。

たかだか簿記くらいで大げさかもしれない。
でもいいの。
何やかんや思うかもしれない赤の他人様が
わたしや家族の人生に
責任を持ってくれるわけではないでしょう?

何でもそつなくほどほどにこなすのが向く人もいる。
人任せでいいことと
絶対に自分が握っておきたいこと
明確に線引きするほうが、わたしの場合はラクかな。
なんかそんなきがする。

by yuusfuru | 2018-03-13 21:01 | 考えていること | Comments(0)

大きな変化の前触れとして、色の好みが変わる。
そんなことがある。2年ほど前のわたしがそうだった。

前回の記事【前編】を書いてから氣づいたんだけど、

色の好みが変わる前、わたしのもとに、今は養父と母の形見となったネックレスがやってきた。

この二つの出来事、客観的にはどうあれ、わたしの中では繋がっている。
石のエネルギーも色の光の波長も、人間の心身に影響を及ぼす。

後編では「色」の話を。

こないだ「筋反射」で合う色が判るという興味深い動画を見たんだけど、

筋反射というのは、
自分の潜在意識の声というか、好い氣持ちの時と嫌な氣持ちの時では身体への力の入り具合が全く違うということ。

合う色合わない色それぞれ纏ってみた時、
同じ力で身体を押してみて身体のグラつき具合が面白いほど違う。

これは色だけではなくてあらゆることが判るもので、
口では何とでも言える
自分で自分の氣持ちをゴマかそうとする
でも潜在意識の声を代弁できる身体の筋肉は、正直なんだよー!ってこと。

それ以外に
実生活で選ぶ服やモノに関しても、

ちょうど2年ほど前の43歳頃を境に、
それまで全く興味のなかった、混じりけのない「真っ赤」に、やたら惹かれるようになった。

わたし五行で足りない要素が「火」なのもあるのかな。

五行で火を象徴する色は「赤」

四柱推命の年運も、
昨年は「印綬」今年は「偏印」
この印星に足りない要素も「火」

そういえばカバラ数秘術にも数に応じて色があるらしいね。
わたし数秘1で、ここでも赤。

日本でマヤ暦と呼ばれているものを知った頃から色の好みが変わり、実生活で使うものにも赤をたくさん取り入れるようになった。
ちなみに「13の月の暦」でのわたしの銀河の署名は、
「赤い共振の竜」

2年ほど前、まだ五行や数秘は知らなかったけど、何故か赤ばかり選んでいた。

コートの裏地、財布の内側、バッグの内布に始まって、
昨年春頃から次第に洋服も色鮮やかなものに。
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昨年夏の装い
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やはりどこかに赤を合わせたくなっちゃう

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秋冬服は氣に入った鮮やか服がなくてどうしようと思ったが、
なーんだそのまま着ちゃえばいいじゃん!と
このような事態に。
下にウールのロングスカート履いてムートンブーツ履けば暖かい。
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もうそろそろコートも要らなくなる季節はこんな感じに。
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人目が氣になり、なかなか洋服では冒険出来ない人が多いけど、
自分に合う色を小物で取り入れたりするだけでも氣分変わるし、違ってくるんじゃないかしら。

顔もスタイルも大したことない40過ぎの女がこんな格好してたら、特に同世代の女たちに反発買うリスクはある。
実際これまでもチラホラそんな氣配を感じたことがw

でもそんなの全然氣にならんマジで。
だってわたしは40歳前まで、どんなに目立たないよう地味にひっそりしてても何故かいじめられることばかりだったから逆に振り切れる。

服は無難でも化粧コテコテとか同じことやんけ。
ケーッケッケψ(`∇´)ψとか思ってしまうわ。

いや化粧コテコテが悪いってことじゃなく、好きでやってるなら何だっていいじゃんってこと。
わたし化粧するとやっぱり氣分上がるけど、やっぱり面倒くさくて普段はドすっぴんだから、
どこに興味が向くかなんだよね。

結局、こだわりどころが人それぞれなだけで
この場合、違いは目立つか目立たないかだけ。

違って見えても本質は皆同じ。
好きでやってること、迷惑かけてもいないのに、とやかくいうほうがオカシイんだから氣にすんな(^^)
そいつきっと自分の好きを押し殺して我慢してばかりだから癪にさわるだけさね。

色、奥深いね。
必要な色は人によって、同じ人でもその時々の段階や運氣によって違う。

色がテーマのなにか。
面白そうだな。
2ヶ月位を目処に、組み立ててみようかしら。

by yuusfuru | 2018-03-10 11:11 | 考えていること | Comments(0)

どちらも人間の心身に影響を及ぼすもの。
前回パワーストーンの話を書いたけど、パワーストーンよりもさらにエネルギーが強いのは宝石。

「血塗られたダイヤモンド」なんて言葉もあるとおり、人間が価値を感じているものには人間の欲望というエネルギーが乗りやすいとわたしは思うの。

持ち主が代々、奇妙な死を遂げたりする「呪いのダイヤモンド」とかも昔テレビで見たなあ。
怖いのはダイヤモンドではなく、そこに乗った「人間の欲望=念」だと思うの。

そういう意味ではお金も同じよね。
お金は汚くも怖くもない。
そこに人間が込めた念がお金を魔物のように見せているだけ。

わたしには、いつも決まって身につけるジュエリーとアクセサリーがある。
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ジュエリーのほうは、今となっては形見になってしまった、プラチナとダイヤモンドのネックレス。

わたしが中2の頃に母が再婚したんだけど、
養父が母と再婚して
(互いに死別の再婚同士。養父に子はなく、母にはわたし含む、父親が同じ子どもが3人)
初めての、養父から母へのプレゼント。
養父は2013年に、母は2017年に亡くなったので、二重の意味での形見。

こういう「素敵な念」って好いな。
譲り受けてから、こればかり身につけるようになって他のプチっとネックレスの数々は全く身につけなくなった。
パワーストーンと同様、やっぱりジュエリーも安易に買うもんじゃないね。

わたしがそれまで持っていたプチすぎるジュエリーたちとは段違いの重量感。見ただけで、結構したんだろうなと判る。

中学生の頃、うわあ綺麗だなあと思い、着けてみたことがある。
当然だが、めたくそ似合わなかった。

10代20代の、大抵の若い女の子に宝石が似合わないのは、石の持つエネルギーにまだ相応しくないという理由もあるんじゃないかなあと今なら思う。

これを母から譲り受けたのは43歳の頃だったけど、いつの間にか着けこなせるようになった氣がして、歳を重ねるのも悪くはないなと嬉しくなった。

そして、いつもこれと重ねづけしているのがこちら。

初めての結婚記念日に夫がプレゼントしてくれたアクセサリー。結婚して丸11年、12年目に入ったからもう10年前にもらったもの。
最初の頃より今のほうが頻繁に身につけるようになり、ものすごく氣に入っており、全く飽きることがない。

思えば夫婦間も同じ。
新婚時代のラブラブ感もそれなりに楽しんだけど、もうあの頃に戻りたいとは思わない。
ヒリヒリ焦げつくような非日常的な感覚には必ず終わりが訪れる。その後は「最初のひと山」
あれをもう一度越えるのはしんどいわあ。
そして越えてみると今のほうが断然素晴らしく感じるのね。
だから命ある限りあの人と大切に生きよう。

このアクセサリーを見ていると、そんなこと考えちゃったりなんかしてね。

そしてこの2つをセットで身につけるようになってから、色の好みがガラリと変わった。
実感してるんだけど、自分の内面が大きく変わる前触れとして色の好みが変わるケースは結構あると思うよ。

色は光の波長ってのは、なにもスピな話ではない。
光にはそれぞれ固有の波長がある。
遠赤外線も光でしょ?暖かいよね。
紫外線も光だよね。日焼けしちゃうわよね。
その中の「可視光線」ってやつが「色」なんだよ。
光なんだから人間の心身に影響があるのは「色」だって同じなんじゃないかなあ。

そしてダイヤモンドは世界最強のパワーストーンでもあるし、もしかして
「色の好みの変化=心身の変化」に、
もしかして何かしら影響を及ぼしていたりしてね。

なんて思ってみたのです。

長くなってしまったので「色」のエピソードは後編へ続く。

by yuusfuru | 2018-03-08 08:59 | 考えていること | Comments(0)

スピの世界に入ってからは、あえて避けていたパワーストーンブレス。

同じ名前の石でも品質はピンキリで、わたしは石の目利きが出来ないから。

石はそれ自体パワーがあるから、ある程度自分の芯がしっかりしている人じゃないと石に負けるような感じもした。わたしから見て実際そんな印象の人がいたから。

そして何よりも、特に強烈に惹かれることがなかったから。

エネルギー解る人や石好きの人が「この石凄いエネルギーだね!」というコメントたくさん付けてる石の画像が時々SNSで流れてくる。

まあ綺麗だなあとは思うが、特に何も感じなかった。
だからまだわたしには石が必要ないってことなのかもね!と思って、パワーストーン関係は手を出していなかった。

スピの世界を知る前には2~4千円のを4本位買ってつけてたこともあった。
数年前、なんか流行ってたの?
雑誌の付録に付いてたパワーストーンブレスが可愛かったから買って、重ねづけ用・服装の色別に使い分ける目的で、なんとなく3本選んで。

でも当時は石について何も知らなかったし、強烈に惹かれる感じもしなくて、100%ファッション感覚で選んでいた。
だからアッという間に飽きて、つけなくなった。
新しいブレスが到着する前に天日塩で浄化してキレイな紙に包んで、今までありがとうねと言ってから処分した。

それからスピの世界を知り、「業界内」の知り合いも増え、自然にその手の情報が入ってくるようになった。

それ以前、わたしは
「自分には霊感なんか無いし、くれるって言われても絶対要らんわ。エネルギーとかも全然感じないしぃ」
とか思ってた。

しかしいつの間にかそれ違うかも、なにも特別なものじゃないかも、と感じるようになった。

常日頃から、わたしもらいやすくってぇ、と公言していたかつての知人が身体面に於いてもの凄い「浄化(本人曰く)」が現れたのをリアルに目撃した。
その知人は自分はスピじゃないつもりだったらしいが、やってることや思考回路や交際範囲は、もうがっつり愛と感謝系スピ。

見えない世界に関わるならばこのまま無防備なのは危険だ。
そう考えるようになって、防御目的でヒーリングの基礎を習得した。

そして先週、ついに出会いの瞬間が。
販売元は、SNSの発信内容が好きだなあと常々感じている方と関わりがあるところ。
どこから買うかも大切だよね。
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なんせ初心者なもんで、まずどちらの腕につけるかってとこで迷った。で、ググった。

一般的には左手らしい。
左手は右脳と繋がっているからとかそんな理由だったかな。

そこで左手につけてみたが、なんかしっくりこない。
右手につけかえたほうがイイ感じ。

どんな分野でも色んな見解があり、相反する説があるのが常。だからきっと右手説もあるんだろうなと思い再度ググったら、やっぱりあった。

こちらは、利き手と逆の腕につけるのがいいとのこと。
そういえばわたし左利きだわ。

他にも、エネルギーを取り込む手と放出する手があって、どっちがどっちかは人によって違う。
エネルギーを取り込む側の腕につけたほうがいいとか。

ヒーリング講座で、エネルギーを出すのはどちらの手かを確かめたことがあって、わたしの場合は左手だった。
これは人によって違うらしく、受講生みんなそれぞれバラバラだった。利き手と関係あるかは訊いてないのでわからないが。

なにか目的が明確な場合やそうでもない時期、
時と場合によって適した腕は違うっていうのとか。

でね。
色んな情報みて迷って自分の感覚で決めらんないってことは、
その石は持たないほうがいいとわたしは思うんだな。
石だけじゃなく色んなことにいえるけど。

だから石は安易に買うもんじゃないと思って今までセーブしてたんだけどさ、
わたしは何につけても、自分なりに感覚と理屈セットで検討した上で芯から納得できれば、あとはエンジンもアクセルも全開な傾向。
だからもちろんソッコー決まったわ。

今のところは右手につけるのがしっくりくる。

ブレスひとつとってもそうだけど、
自分だけの正解を選び取るのって、こんな小さな決断の積み重ねなのかもね。

だからなかなか決められない人は、今日なに食べようかとか、そんな小さなことを、ものすごく真剣に全力で決めてみるところから始めればいいんじゃないかな。

こういうことになると
いきなり階段10段抜かしみたいな理想高くてすぐ挫折しがちな人が意外と多いかもって思ったから付け加えてみた。

by yuusfuru | 2018-03-06 06:06 | 考えていること | Comments(0)

念とかいうと特別感があるけど、人間なら誰でも持っているもの。
念は感情から生まれる。感情のない人間はいない。
ありふれた日常にあちこち転がっている。

この世界は陰陽一体。
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目に見えないという意味では思いやりとか絆とか。
皆さんのおかげでパワーいただきましたあ!チカラ湧いてきましたあ!
なんてよくいうでしょ。あれホントにいただいたり湧いたりしてると思うよ。
それらの綺麗イメージな「念」はみんな大好きね。

「陰」になった途端、怖いイメージね。
念飛ばされたとか胡散臭いイメージね。
でもさ。これも同じく、別に特別なことではなく。

妬み嫉みでイジメとか足を引っ張る引っ張られるとか。
イジメられる人って心を病んでしまうことがあるでしょう?イジメるほうも別の意味で病んでるが。
そして標的になりやすい人も確かにいる。

それは、何らかの要因で「わたしは受けやすいんだ」と
「自分で設定している」からではないか。経験上。

物心ついてから2013年・40歳までのわたしが、まさにそうだった。
家庭環境も学校生活も、社会に出てからも、人の想念の「陰陽の”陰”のほう」をよく観てきたし向けられてもきた。

40歳の時、生活が脅かされるほどの出来事をきっかけに人生最大の転機があった。
今までの不足分を補ってバランスを取るかのように「陰陽の”陽”のほう」が急ピッチでなだれ込んできた。

嫌なことを嫌という。そうしたら好きなことが次々と見つかった。それを素直に追いかけられるようになった。

追いかけるには身軽にならないとしんどくなる。
人が怖くて傷つけられないように分厚く纏っていた鎧を脱いで、
わざわざ敵をたくさん作ってたくさん泣いて、
ときたまちょびっと救いがあって。

夢中で追いかけ始めたら、
それまで絡まった糸のようだった娘や夫との関係が、努力していないのに勝手にほぐれていった。

だから人の言動の動機となっている、その人自身も無自覚であろう部分が、
よーく観えるようになった。

一見、善良そうに見える人に潜む闇
みんなに優しい学級委員長が、わたしだけに見せてくれた裏の顔
そんな感じの「怖さ」を知っていたおかげで

まず防御アイテムをしっかり装備しようと考え、
身を守るためにヒーリングの基礎を習得した。

わたしの場合は、なぜ怖いかの理由が解ればスッキリした。迷いが減れば惑わされなくなるよね。
嫉妬などの念を受けても、自分のほうが強ければ大丈夫。

逆に、何かっつーと受けやすいとか飛ばされたかもって、あまりに思い込みが強すぎるのは自分から拾いに行ってるようなもん。

だったら怖がったり嫌がったりばかりしているより、対策を講じればいいだけなのになあと思う。

だから大丈夫だよ。
自分がどうしたいか。
誰一人の例外なく、自分の世界は自分が創っているのだから。

by yuusfuru | 2018-03-04 03:30 | 考えていること | Comments(0)

「好き嫌い」の自然な感情よりも「正しい・間違い」「ジャッジだの手放しだの」にこだわりすぎるから、惑わされる。

世界で唯一・万人共通の「真ん中とかワンネスとか」があると思い込むと、自分のものさしで無自覚に他者を測る。
「ジャッジしないというジャッジ」が生まれる。
(他人に対して「それはジャッジでは?」「手放そう」と無自覚な自分目線でアドバイスしてあげるとか)

それをしたくなる相手にはそもそも無意識でどこかしら好感情や敬意を持っていないってことが、意識からスッポリ抜け落ちている。
だから、自らの自然な感情に向き合う前から「手っ取り早く」手放したがる。

具体性に欠けた綺麗なフレーズを好む人はとてもたくさんいるから需給のバランスは取れている。
根本的な解決ではなく癒しを求める人々がその手の世界観を好む。

例えば
有名人を標的にした品性下劣なスキャンダルネタや
絵に描いたような勧善懲悪ドラマ、
さあココ泣くとこですから!と言わんばかりの薄っぺらい感動ドラマ・美談、などなど。
それらが一定の視聴率を得ているのは、
目先のガス抜き的な娯楽をよってたかって「消費」する
「手っ取り早く、わかりやすくスッキリしたい」需要が沢山あるから。

根本的な解決は、そういう意味ではラクじゃない。
ガス抜くんじゃなく、発生源を自力で突き止め除去するみたいな。
手っ取り早くもわかりやすくもない。
その代わり覚えることは少なく済むし、あらゆる分野に応用自在なんだけどね。
人数が少ない。理解されないことが多い。

誰だって「仲間外れ」は怖い。
「みんなと同じ教」は、ひと昔前に比べたら格段に勢力が弱まり「教義」のあちこち、ほころびだらけ。
今までその中で無難あるいは要領良くやり過ごせてきた人々ほど、その幻影に怯えているようにわたしには感じる。

世の中や金融の仕組みなんて何も知ろうとしない「ネギしょったカモ」でも、それが当たり前でお国・お上にお任せで大多数が一生安泰だった時代はとっくに終わった。

「みんなと同じ教」
しかしそれも自由選択。怖いなら無理して抜けることもない。
「ロシアンルーレット」に弾込められる確率は多少上がったが、それでもなお向き合わずにいるのはそれなりにメリットあるから。
ある種の人々にとってそれほどに
「ひとりじゃない。手近で分かち合える」というのは魅力的なのだと思う。

はあ?何それ意味わからん、って思うならそのままでもちろん問題ない。

好きなことは大体、自分にとって「正しい」こと。
人は大体、何を言っているかより誰が言っているかで判断する。
いくら痛いとこ突かれても、氣に食わないヤツが言っていたらトコトン知らんふりなのが当然。

選択を人に預けるから不安・怖れ・葛藤が増す。
万人共通の正しさや常識や普通なんて幻想。
だからそんなこと氣にせず、みんな好きなものを選べばいい。

なんかもう、そうとしか書きようがないんだなあ。
わたしにとっては、本当に好い時代になったなあとつくづく思う。

by yuusfuru | 2018-02-28 21:51 | 考えていること | Comments(0)

真実は劇薬。

2018年2月18日、マヤ暦に関する新たな情報に触れる機会があって。
まあそれがこの記事のテーマなんだけど。

「劇薬」って、扱うにはそれなりの資質が必要。
受け止める力が無い人には、そもそも理解すら出来ない。

理解出来ない人がレベルが低いとかそういう意味ではなく、その人たちにはその人たちの世界がある。
同じように、わたしはわたしの世界を選びたい。

いくら自分にとって真実で、たとえそれが事実であっても
相手にとって受け入れられないことは相手の真実ではないと思うんだなー。

わたしが最初に「日本でマヤ暦と呼ばれているもの」を學んだのは2016年11月のこと。

モニター様から始まり、経験を積むごとに疑問や違和感が増した。調べてもわからず訊いても納得できる答えは得られず。

でもその時スンナリと教えてもらえたとしても、今ほどのありがたみは感じなかっただろうな。

当時教えてもらった講師・その講師の師匠にあたる方は今でも「あれ」をマヤ暦と呼んでいるだろうが、それはあの方たちにとっての「真実」なのだろう。

そして何より、当時のわたしもそう思っていた。
それまで劣等感でしかなかった自分の個性を認めて好きになる大きなきっかけとなった。
だから、それはそれで、いい。

それよりも。

今回、わたしに「事実」としての資料やお話を提供してくださった方々。
その方々は、自力でそこまで辿り着いた。

巡り合う人や情報は自分の成長度合により変わっていくとはいえ、わたしはまだ「教えてもらった」だけの段階。

何が真実で何が嘘か。それよりも。

たかが教えてもらっただけの段階で知った風に思い上がり、
自力で辿り着いた人々と同じ立ち位置で「正しさ」を啓蒙する。

与えられた「答え」や「ネタ」に【無自覚に】追随し、群がり、乗っかる。

その内容が何であれ、そういう人々は氣持ち悪い。

この感覚には覚えがある。

たかだかその程度の教えられたまんま受け売り知識で、なーーにが「安心安全」だよ。
昔、食のボランティアやってた頃のことだけどね。

それは単に、その集団の中ではわたしがちょっとばかり「物知りさん」で、しかもそれを内心鼻にかけていて、自分が思うようには皆に認めてもらえなかったから。

その後もっと広い世界に出て、色々な人と出会って、今度はわたしが「たかだかその程度」だったと知った。

要はわたしが氣持ち悪い人だったんですね。
その恥ずかしさに氣付いたら変えられるから結果オーライ。

本当に「知っている」人は、知らない(知ろうとしないも含めて)人のことなど、そもそも眼中に無い。

だから、ビジネス的な意図でもない限り、
自分と違う信条に対し”必要以上に”ピーチクパーチクしつこく攻撃せずにはいられない人々は「たいしたことない」と思う。

そして
そこまで辿り着くには、やっぱり色々な世界や人々が必要だと思うのよ。

日本で広まっているマヤ暦の嘘を啓蒙する人
知りつつ見て見ぬフリする人
ウチのは占いじゃない・儲け主義じゃないからマヤ暦セッションやって問題ないと思う人
そんなのデマだと思う人
ガッツリピラミッド構造で儲けまくる「マヤ暦を称する団体」

自分から見てどんなに嘘っぱちでも、需要があるから存在しているわけで。
なのに受け手側に言及する説が少ないのは氣のせいだろうか。
これはマヤ暦に限った話ではなく。

古くからはマルチとか高額ぼったくりセミナーとか、
最近はビットコインとか、
残酷なようだけど、引っかかる人々にはわたしは全く同情できない。

だってさ、
世の中やお金に関する基本的な「仕組み」を知らなくても昔のように安泰に生きられると思っているから。考えて選択することを実質的に放棄しているから。
「わかりやすく手っ取り早い答え」に飛びつくんだよね。

話が飛躍しすぎたけど

自分にとっての「真実」に辿り着くには
自分にとっての「嘘」は必要だと思う。

だからマヤ暦を知る全ての人々の認識を「正したい」とは思わない。

「正したい」という部分に関しては違和感があるから。
人間って、嘘がないと生きていけないよね。
嘘があるから、真実と思えるものの輝きが増す。

それとマヤ暦のことと一緒にするな!と思う人もいるかも知れないが、
「先生」の仰る通りの右ならえでは「逆側の人々」と一緒だと思うから。

現時点でのわたしの立ち位置としては

「現地に伝わるマヤ暦」と

それを元にホゼ・アグエイアス博士が創った
「13の月の暦」と
(現在ある流派とは関係ないオリジナルソースのほう)

「日本でマヤ暦と呼ばれているもの」
とは区別する。

13の月の暦をセッションや鑑定に使ってはならないとホゼ博士自身が言っている(動画がある)。

著作権逃れのために名前を変えて似た内容のセッションなどをするのでは、やってることは「大手」と変わらない。

だから、
今まで提供していたマヤ暦セッション・鑑定は、一切辞める。

納得できる範囲のことしか、したくない。
これは、以前も今も、変わらない。

by yuusfuru | 2018-02-27 00:51 | 考えていること | Comments(0)

例えばわたしが習った「ブライトセッション」
誰がやっても簡単に効果が上がるように作られたプログラム。

これを考案した方は
「スリーインワン」「フラワーエッセンス」など他にも数々の方法論を、かなりの時間と費用をかけて習得している。
その上で「自分には必要な學びだったけど、誰もに必要とは思わない」という経緯で出来たセッションとのこと。

そして、それを習ったからこそわかったことがある。
いや勘のいい人なら習わなくてもたぶんわかるけど。

ブライトセッションに限らず、世にあまた溢れる様々なセラピーで
「誰でも簡単に出来る」を売りにしているものは大抵提供する側の「素」が勝負なんじゃないのかなーと思う。

どの分野でも、それを絶賛して普及に尽力されている方のほとんどが、人間力高そうだなー魅力的だなーと感じる方ばかりにわたしには見えるから。

人間力高いってのは
コミュニケーション能力高いとか人望が厚い、みたいなこと。

最近、とあるコミュニティ内で、とあるセラピーを巡って色んな噂を見聞きしたもんでね。
わたしは最初からピンとくるものがなかったから特に何かの意見を表明する氣にもならなかったけど

誰もがそうだと思うけど、結局、「人」だよね。
そう言う一方で「誰でも簡単に効果が上がる」的なキーワードを使うとしたら。

いや確かに理論上はアリだけどさ。
双方に信頼関係が確立してる場合もアリだけどさ。

上記のケース以外に限っての話だけど。
よく考えてみると根本から恐ろしく矛盾してるとわたしは感じるのよ。

セッションとかセラピーに限らず、そうじゃない?
そもそも、誰でも簡単なんて、ありえないんだよ。

その「仕組み」というか「原理原則」さえ骨身にしみてわかってさえいれば、いちいち細かく情報チェックしたりたくさん覚えたりしなくても、
あらゆる分野に応用可能で「おトク」だと思うのです(^^)

by yuusfuru | 2018-02-11 15:50 | 考えていること | Comments(0)