安易な「引き寄せ」は危険

巷に溢れる引き寄せ本。「著者」は実体験の中から感じ取り掴み取り「引き寄せ」た。体験が先。理屈は後。

多くの「読者」は逆。せっかく実体験から「腑に落とす」チャンスが訪れても中々振り切れずに中途半端なところで「傷ついて」諦める。

他人があなたを傷つけるなんてこと、出来っこないのに。

諦める人の共通項。「常識・普通」を真に受け惑わされる。そんなの幻想なのに。でも周りの目は氣になるからイマイチ振り切れない。

捨てられないことが問題ではない。全然捨ててないことにすら氣付いていないのが問題。
捨てたいなあ、と「願って」いることが何よりの証拠。

ホントに捨てると「決めた」なら、「みんなと同じ教の信者」を煙に巻く程度の知恵、いくらでも捻り出せる。
全て捨てるの?って思うから出来ないしそんなの無理。捨てるポイントは個々で違うと思うから見極めが必要。その過程で、考え選び取る力を取り戻す自主練をしていく。

それまでつるんでた人で合わなくなった人は離れていくけど、離れたぶん必ず入ってくる。入れ替わる。ただし一時的に孤独を味わう。もしかしてそれが怖いのかな。だから「みんなと同じ教の信者」ってわたしは表現している。

「常識・普通」怖いのは、知らず知らずにモノを考える力を忘れていくところ。

願いの裏には悩みがある。磁石の両極のように、切っても切れないもの。

引き寄せるってことは、自分は持ってないと思ってるから何処かから貰ってこようとするんだよね。
例えば何か欲しい物がある時、お金出して買うよね。タダで貰おうとする人って品性卑しくなってくるよね。お金を失わない代償とでもいうか。

引き寄せって等価交換なの。必ず対価が必要になる。
それを知らずに無闇やたらに「引き寄せた~い」が危険なの。
無自覚だと、対価になるのは「自分自身」。根源を知らずにスピ系に踏み入りハマり自分を見失うとか、そんな感じかなぁ。

成功法則とかの本とかセミナーとかもさ、ホントにそれで成功するのなら、手を替え品が替わる度に何で延々とみんな買い続けるのかなあ?

誰でも、もともと必要なものは既に持っている。持っていることを忘れてしまっただけ。
モノを考える力を失ったのではなく、忘れてしまっただけ。

だから引き寄せたいだの何だの願う前に考えることは、自分は本当にそれを思い出す覚悟が、意志が、あるのかっていうこと。

「みんなと同じ教」脱退できますか?しないほうが「幸せ」な人だって、居るんだからね。

ただシンプルに。
自分は、どうしたいのか。
それに尽きる、って結論でーす(=゚ω゚)ノ
by yuusfuru | 2017-06-28 07:03 | 考えていること | Comments(0)