”非常識” な選択肢が増えた= ”死を想う” に繋がった。わたしの場合は。

知らなければ良かったかなあ。
そうしたら「みんなと同じ」で淋しくなくて、共感し一緒に涙して、刹那の一体感を味わうことが叶ったのに。

つい1年ほど前までは、そんなふうに思っていた。
わたしが知っているのと同じジャンルのことを知っている人が周りに誰一人いなかったから。

最初に知ったのは2013年6月。

その時すでに養父は抗がん剤治療を6年近く続けていた。新しいお薬が認可されたんだ。先生から聞いて早速試してみることにしたよ!
そう嬉しそうに語る両親には、「良かったね」としか言えなかった。

2013年10月に養父は亡くなった。
初期の胃ガンで胃を全摘出して以来6年近く抗がん剤治療を続けていた。
亡くなる3日前まで普段と変わらない生活を、最後まで人間らしい「生命」を全うできたのは、今思えば奇跡。

知った者が辿る道筋の常として。
身内や身近に伝えキチガイ扱いされて懲り懲りし、ネットのドツボにハマり、現実を知らない頭でっかちになっていく。

医療を全て否定はしていない。
交通事故や骨折・火傷などの外傷には必要不可欠だし、
胆石持ちの夫は、救急医療のおかげで今まで少なくとも4回命拾いしている。

それでもどこかで「医療なんて」と思い、単に自分だけの正解として選んだ答えを唯一絶対の正義と思い上がり、ロクに調べようともしない周りの人々を内心蔑んでいた。

しかしその後、自身の偏りを思い知らされる体験を次々と重ねた。

この件がキッカケで食生活を見直すようになり、食の安全を伝えるボランティアのような活動を2年間やってみた。
たとえどんなに正論であろうとも、他者をコントロールしようと試みる愚かしさに氣付いた。

夫には一通り伝えたが、
「酒とタバコが無いと俺は死んじまう」
「俺は昔から腹一杯じゃなきゃ寝れないんだ」
「男なんて若いうちカッコ良きゃいい」
(=服のサイズ5Lの夫、ダイエット拒否宣言)

この3点は遂に譲らず。

その代わりわたしのこともコントロールしてこないのが夫のいいところ。

食に関して、上記の点以外はほぼ全てわたしの好きにさせてくれる。それだけで充分結構。
相手に氣付かれず「身体にいいこと」が出来るように、自分が賢くなればいいだけのこと。

西洋医学の観点からみれば健康リスク特大レベルの夫。
しかしその方面においての ”常識” を捨てた今となっては、いつ病気になるかという不安からも解放された。
病気に対する概念が変わったから。

人間いつ死ぬかわからないくらい、それまでの色んな経験で多くの人がわかっている。わたしもそう。その体験をどのように解釈するかは人によって違うけれども。

「ああ良かった!今朝も息してるぅ♡」
毎朝目覚めるたびにわたしは奇跡を体験できる。
夜は「フツーに」生きて帰って来てくれるだけで有り難い。
それは、知ったから。そして常識を捨てたから。非常識を選んだから。

最近になって「同志」と繋がる機会も増え、以前より孤独を感じることが格段に減った。

「知って良かった」と思えるようになって、良かったなあ。
そう思う。
by yuusfuru | 2017-06-25 00:24 | 考えていること | Comments(0)