依存が嫌いなんじゃない。わたしのことが苦手なクセに無理矢理 蓋して不自然に絡んでくる人が嫌いなだけだったんだわ。

嫌ならスルーすればいいのにね〜。
でもどうしても接触せざるを得ない時に、どんなに取り繕っても「蓋」の閉じ具合がこちらに露見してしまうんだな。「いいコちゃん」になればなるほど。

例えば「閉じ具合」が割と深刻な場合など、個人メッセージすればいい件に関してもわざわざSNS全公開の場で絡んできたりとか。
偽りの自分を演じ自身を苦しめてまでわたしを「わからせたくて」しょうがないのね〜。

コメントの論旨も、その後の謝罪のポイントも、著しくピントがズレている。
「おそれ」は、かくも人を盲目にするものか。
わたしが「自称 ナイーブ・こわがりちゃん」を信用しない理由はコレ。

依存は危険❗️と事あるごとに発信しているわたしですが、では依存されることがそんなに嫌なのか❓と、先日改めて考え直す機会がありまして。

今年2月からマヤ暦のセッションを始めて・初めて早々に実感したこと。
わたしからみて、かなり依存心高いなぁと感じる人の中にも、可愛いなぁって好ましく感じる人がいた∑(゚Д゚)

それ以前は、クレクレちゃんは問答無用で大嫌いだった。

わたしのそれまでの人生経験から、自他共の中にある依存心を過剰に敵視して、徹底的に嫌う時期を経験することが、わたしの場合は必須だった。今思うと。

当然たくさん敵を作ったが、闘うことでしか自我を再形成する術を知らなかった当時。開き直るわけではないが、後悔はしていない。

で、紆余曲折を経た、いま。

程度の差はあれ誰にでも依存心はある。それは自然なこと。もちろんわたしにもある。

では好ましいかモヤっとするかの違いは何か。

その人がわたしに対して好感情を持っているかどうか。

逆もそう。互いに。結局これだよね。

あのね。
「わかる」だけなら誰でも出来るの。

その段階でわたしを「わからせよう」とするより(ご本人はおそらく ”無邪気な善意” で伝えているつもり)

どうせなら「やりきって」から同じこと伝えたほうが、説得力が断然違ってくるよ。

リアルに圧倒的に「やりきった」人を知ってる人・もしくは「やりきった」人にはソレ通用しないから。
優しく受け止められ、伝わったキブンを味あわせてもらえているだけ。
どうしても「伝えたい」ならば相手の見極めは慎重にね〜。

でもホンモノはわざわざ言わなくても滲んでくるから、

そんなに「ガンバ」らなくても
大・丈・夫 ( ^ω^ )
by yuusfuru | 2017-06-21 18:58 | 考えていること | Comments(0)