信じるか信じないか。問題は、そこじゃない。

どっちでもいいけど、
自分と異なる見解や信条には、あまり踏み込まずにいたいなぁと、思うようになった。

そのほうが、なんかホッとする心境で居られるから。

例えばね。

わたしは無宗教主義。
何となくではなく、実体験から得た明確な理由がある。
でもそれは宗教を否定することではない。

それとこれとは全くの別物。

実母の再婚がキッカケで、わたしは中2で初めてキリスト教の教会へ行った。
でも洗礼は受けず、毎週も行かず、高校を卒業したら一切行かなくなった。

わたしの実母は、プロテスタントのクリスチャン。
養父がクリスチャンだったから何となく洗礼受けたのかな〜?
って、今まで思っていた。

洗礼を受ける時に「あかし」というものを書くらしいけど、
ついこないだ、養父と母が、かつて通っていた教会の牧師から、母の「あかし」について聞く機会があった。

以下、母の「あかし」原文を一部抜粋、引用。

『私はイエスを知る前は、罪は自分一人で背負って生きていくものと考えていました。
しかしイエスを知ってから自分を責め、投げやりになることが少なくなりました。
弱い私を捕えて下さったのは神です。』

引用終わり。

母は若い頃は氣性の激しい人で、最初の夫に死なれて初めて、自分の言動が夫を死に追いやったも同然だ、と氣づいた。と以前言っていた。

そういえば養父が教会に通い始めたのも、最初の奥様を病気で亡くされてから。

養父も母も、生前そのことを切々と語ることは無かった。

人の弱さや強さって、色々なんだな。

この母の人生劇場を幼い頃から観続けてきたおかげで、
それを実体験からトコトン腑に落とし切れていないな、という類いの主張がすぐにわかるようになった。

ま、だからと言ってそれがどうってことじゃあないんですがね。

母にソックリな氣性をもつわたしが平穏な結婚生活を11年間も送れているのは、ひとえに母のおかげであることは確かなんだな。

今日は母の納骨だったから、ちょっと思い出しちゃった〜。

そんな話でした〜( ´ ▽ ` )

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by yuusfuru | 2017-05-16 23:22 | 考えていること | Comments(0)