”素” の扱い方 ②

【洗練には制限が不可欠?】
最初から周りが賛同者ばかりだったら、わたしの文章力
(=人間性。言葉をどう扱うかは人格形成の上でとても重要)
は大して向上していなかったでしょう。
↑⭐️コレが今回いちばんのポイントでーす⭐️

先の投稿にも書きましたが、ネットのドツボにハマり、血の繋がったきょうだいにさえキチガイ扱いされ ”傷ついた” w わたしは
( ↑これは本来おかしな認識。自身を傷つけることができるのは自分だけです)

同志を求め、
2014年4月から2016年3月まで、食の安全に関する情報を発信する組織でボランティア的な活動をしていました。

入ってすぐに、映画
「モンサントの不自然な食べ物」
(遺伝子組換え作物にまつわるアレコレのドキュメンタリー映画)
の上映会のお手伝いをしました。

無事終了し、後片付けが終わり帰途につく最中、わたしにとっては衝撃的な会話が。

「こんなことやっちゃって、○○(組織名)、潰されちゃったりしないんですかね?!」
「そーよねーホントそーよねー」

((((;゚Д゚)))))))((((;゚Д゚)))))))((((;゚Д゚)))))))
あ、、そんなレベルなのね…と。
早々に激しく失望したことを覚えています。
偉そうですよねすんまへんm(_ _)m
念の為、それが悪いといっているのではないですよ。
わかりやすい ”悪役” をあつらえ、皆が知らない秘密を知ってしまったワタシ(((o(*゚▽゚*)o))) 感を持たせることは、世間一般の圧倒的多数派に訴えかける上で、最も効果的なツールなのですから。

ただねえ、
ホントのタブーというのは、われわれ一般庶民ごときにはそう簡単に流れてくるモンじゃない。
ああ、、やっぱり多数派は何処へ行っても多数派なのだなあと痛感した次第です。
少なくともその程度の ”本質” はわかっていた。
”安心して触れられるタブー” とでもいうものが存在します。
その一線以降は誰もどこも答えを提示してくれない。
自分で自分の答えを考え、選び取ってゆく、自己責任の孤独な世界。
今ではそのみちを選んで心から満足しつつ周囲との折り合いも当時より格段にスムーズです(^^)
自分の正義を他者に無自覚に強要することの愚かしさを実体験をとおして学んだからだと思います。

しかし当時のわたしは、
自分は人よりモノを知ってるのよ~と思い上がり、知ろうとしない人々に、要らぬお節介する気満々。
そんな意識が黙ってても立ち昇ってくる、鼻持ちならぬ「意識高い系」
そんなところでしょうかw

失望を補って余りある魅力が、その活動にはありました。
そのような動機で ”イイこと” をしている人々は案外多いのではないかと、ついつい底意地の悪い考察をしてしまうワタクシ…ww

こういう、世間一般的に ”イイこと” とされている活動では、たいてい担い手不足が深刻です。まあ当然ですよね(他の記事に書いた通り)。
なので幸いなことに、すぐに仲間として迎え入れられました。
色々知っててスゴい的なことを言われイイ気になり初っ端から墓穴掘ったり、その後も色々ありましたけどね(^^;;(^^;;(^^;;

それもわたしにとっては全て必要不可欠な過程でした。それも他の記事で折に触れ書いている通りです。

アナタの考え方は神経質過ぎる、的なことはよく言われました。

でもわたしは自分の考えをカタチにできることをたのしみはじめていた。
たった一人でも、あの文章よかったわ、と言われることが嬉しくて仕方なかった。
だから、何とかして、自身の信念を曲げず & その組織内の暗黙のタブーにも触れない文章、という表現に挑戦しました。

「おいしい上に安全な食べ物の重要性を知っている」という、
根本的な部分が多少なりとも共通していたからか、その挑戦は功を奏し、月1回の紙媒体の広報の1コーナー(400字程度)やfacebookページを作成・運営したりなど、かなり好きなことをさせていただきました。

文章力も飛躍的に向上しました。
○○のテーマで○○○字以内でお願い、というオーダーで、依頼主の意向に沿いつつ自分の信念は曲げない文章もお手の物に( ^ω^ )
時にはスレスレを敢えて狙う遊び心も…(^^;;
その点については本当に感謝しています。

今マイブーム中の「田中角栄 名語録」にもありましたが、ものごとを説明するにはどうも「3」というのがキリがいいようです。
書いている実感としても、そう思います。

次回の③でなんとか収拾つけてみっかぁ( ^ω^ )
な~んて思ってましゅ(=゚ω゚)ノ♪
by yuusfuru | 2017-01-29 22:34 | 考えていること | Comments(0)